6月28日(日)、東京は豊洲の芝浦工業大学のキャンパスで、
コンテンツ文化史学会、http://www.contentshistory.org/
第一回例会が
http://www.contentshistory.org/2009/06/08/370/
13:00 〜 13:15 吉田正高会長挨拶 (東北芸術工科大学)
13:15 〜 13:55 土居浩(ものつくり大学)「ライトノベル[の/と]場所研究」(仮)
14:05 〜 14:45 玉井建也(東京大学)「異界・リアリティ・聖地」(仮)
まず、4月の学会設立から初めての例会ということで、
吉田会長から、学会の主旨と理想の説明が行われた。
吉田会長はまず、広い意味で分野を横断したコンテンツの歴史の
教育が不足していることを鑑み、東京大学で正式な授業となった、
コンテンツ文化史の講義の発足と経緯を説明された。
その際に、一次、二次資料の収集の労と、先達の研究を
個々の研究に加えて「コンテンツ文化史」として総合的に
捉えなおす必要を痛感すると同時に、その仕事と分野の広大さを
知り、若手を含む多くの優秀な研究者と協力して、
研究を進めて行く場として学会を設立されたとのことである。
会場には、想定した以上の参加者が訪れ、吉田会長に劣らず、
高いモチベーションの研究者、コンテンツ開発者が、
真剣な面持ちで会長の話に聞き入っていた。
続いて、「ライトノベル[の/と]場所研究」ということで、土居氏は、
ライトノベルを評論やブログで展開される解釈という側面からでなく、
研究として成立させる客観的な手法の効用と必要性を説いた。
実例として、「涼宮ハルヒの暴走」の短編「エンドレスエイト」を
テキストとして、氏の地理学的なバックグラウンドを生かし、
物語内の「場」に着目し、どのページ、どの行が、特定の場所の記述に
割り当てられているかの調査を行い数値化した。
氏は、こういった数値からコンテンツを読み取る以上に、
他のテキストにも適用しておくことで、テキスト間の比較を
可能にする手法として手法自体をブラッシュアップして行く
重要性を説いた。
また、こういった研究の課題として、
研究者が研究資料にラベリングを行う外在性と、
研究資料自体が、自身を規定する内在性の対立を乗り越えることを指摘した。
二人目の講演者として、玉井氏は「異界・リアリティ・聖地」ということで、
前半と後半に分けて二つの調査結果を解説し、その考察を説明した。
前半は「かみちゅ!」というTVアニメーションが尾道を舞台に
話が展開されたことをヒントに、「尾道」という場をキーワードとして、
文献調査と実地調査を行い、「尾道」という場の上に、
多層的に積み上げられるコンテンツのレイヤー(層)構造を説明した。
かみちゅ!
http://www.sonymusic.co.jp/Animation/kamichu/
最初に、尾道を訪れるものは神社巡りを訪れる主としていた。
また、「尾道」は「玉の浦」として、万葉集で和歌の中にも登場し、
「ぬばたまの 夜は明けぬらし 玉の浦に あさりする鶴 鳴き渡るなり」
尾道の紀行を描いて来た歴史を持つ。
さらに、尾道は小津安二郎の「東京物語」の舞台でもあり、
「東京物語」のロケ地探訪として観光する人もいる。
次に最も有名なのが、大林監督の尾道三部作であり、撮影場所を
つぶさに訪れる人が多く、最近の旅行パンフレットの
殆どが、このコンテクストに拠っている。
そこに新しく加えられたのが、「かみちゅ!」という尾道を舞台にしたアニメーションであり、
ファンは、舞台になった場所を詳細に巡り写真に収めブログを書く。
また舞台となった神社には多数の「かみちゅ」絵馬が奉納されている。
玉井氏はここに、アニメの聖地巡礼という行為が、
ファンの間で閉じている行為
(訪れ、ブログに書き、読み、読んだ人の中からさらに訪れる人が出る)
であることを指摘し、また、それは、他のコンテクスト・レイヤーについても、
同様であると指摘する。
そして、各レイヤーが独立であるがゆえに、それぞれの巡礼行為が並行的に存在する。
ここに氏は即席のツーリズムが、観光資源化し、歴史的蓄積となる過程として、
聖地巡礼を捉える可能性を指摘した。
玉井氏のこの研究については、学会の会誌「コンテンツ文化史研究」vol.1 に
論文として掲載されているので、正確にはそちらを参照して頂きたい。
学会誌は、学会に入会すると受け取ることが出来る。
後半では、「朝霧の巫女」をテーマに聖地巡礼の異なる成立の
仕方を解説した。「朝霧の巫女」(副題、平成稲生物怪録)は、
広島県三次を舞台にしたコミックとそれを原作にしたアニメーションである。
朝霧の巫女
http://www.b-ch.com/cgi-bin/contents/ttl/det.cgi?ttl_c=1428
広島県三次には、「稲生物怪録」と言われる江戸時代中期から伝えられる
発祥の物語があり、妖怪との一ヶ月の戦いをまとめた物語である。
この物語は、江戸時代以来、様々に引用され、次第に三次という土地から
乖離してアレンジされて行った歴史を持つ。そして、「朝霧の巫女」に
至って、「稲生物怪録」は三次という土地に回帰した。
三次では、原作「朝霧の巫女」原画展や原作者サイン会などが開催されている。
「朝霧の巫女」の聖地巡礼は、原作の原作「稲生物怪録」から乖離して、
「朝霧の巫女」の聖地巡礼として行われているが、三次は、
「朝霧の巫女」を本来の「稲生物怪録」の中に組み込むことで、
逆に「朝霧の巫女」を通して「稲生物怪録」へ、そして三次という土地
そのものへの結びつきを回復しようとしている。
ここに、歴史的に独立したレイヤーとして成立する「かみちゅ」の
聖地巡礼と、決定的な相違点があるのである。
さらに、休憩をはさんで、参加者から集めた質問を吉田会長が選別し、
講演者二人に質疑をするという形式のディスカッションが行われた。
参加者からは、聖地巡礼と距離の問題が挙げられた。
アニメの舞台が東京や自分の日常空間と重なる場合、
それは聖地としてピックアップされることは少ない。
(例えば、かみちゅへ尾道まで行っても、第4話の東京の回の
国会議事堂のシーンが聖地巡礼として取り上げられることはない。)
また、そこから、聖地巡礼とは異界への旅なのではないか、
という考えが、吉田会長から提起された。
聖地の多くが、神社や祭りの場など元から神聖な場所と重なっており、
その二重性は、聖地巡礼という行為が、そもそも異界への旅として
象徴化されているのではないか、ということである。
それが、日常的な空間が聖地にならない理由でもある。
ただ、この異界というものが、単に、日本の伝統的な会談や、
民俗学が描き出す異界ではなく、涼宮ハルヒのように、
サイエンティフィックな空間として描かれていることに、
これまでにない新しさがあるとは、土居氏の指摘である。
第2回は「ライトノベルと文学」をテーマと開催が決まっている。
コンテンツ文化史学会
http://www.contentshistory.org/
三次は、父親の実家に近いので、帰省時にはいつも通過します。アニメに出てくるショッピングセンターには、たまに行きますね。アニメを見たときには、すさまじい違和感を感じたものですが(町自体の高齢化が進んでいる地域で、萌えの対極にあるイメージ)、そんなものかもしれないですね。
尾道についての憧れはおもしろいですね。親戚が近くに住んでいるので、あんまりピンとこない…。かみちゅ!の舞台って、確かに尾道としてはメジャーなところをはずしているんですね、ということを初めて知りました(見てないので…)。
山に登るのが大変なんですよね。実際…。
<参考>
「かみちゅ!」探訪参詣記〜尾道の神社紀行〜
http://shrine.s25.xrea.com/onomiti-1.html