2012年08月18日

CEDEC2012 preview版「人工知能をめぐる冒険」サイン会

CEDEC 2012 で今冬リリース予定の「人工知能をめぐる冒険」のプレビュー版を配布します(無料)。

よろしければサインもしますので、お越しください。 ※入場には CEDEC パスが必要です。


日時:2012年8月20日(月) 12:30〜13:30
場所:パシフィコ横浜内CEDEC書房 Softbankブース
(数量限定につき、品切の際はご容赦ください)


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2012年08月12日

三宅陽一郎 「京都大学の思い出」

※フィクションです。でも、本当の物語。

もうすっかり教室の外は夜の帳で満たされていました。たくさんの
生徒が帰路についた後、
電灯の下、教室には私と老教授だけが残さ
れました。

老教授はまっすぐに私をみつめると、こう言いました。


「三宅くん、人工知能とはさかさまの科学なのだよ。」
「さかさま?」
「そう。原理と現象が逆転しているのだ。」

「失礼ながら、学問とは、ユークリッド幾何学のように、
 仮説があり論証を重ねて行くものではないのですか?」

老教授は聞こえていないようで、聞こえているようで、
しばらく沈黙したあと、今度は窓の外に杖を指して言いました。

「見たまえ、三宅くん。あの宇宙を。我々人類はこの6000年というもの、
 あの宇宙を理解しようと、知識を積み重ねて来た。つまりそれは
 人間という知能が宇宙を理解しようとする試みだったのだよ。」

ごほっ、ごほっ、とそこで老教授は咳きこみました。

「先生...。」
「大丈夫じゃ。わしも長い間、知を探求して来た身じゃ。
 だいぶ、無理をした。ところで、三宅くん。
 三宅くんがしようとしている人工知能という学問は、
 その逆なのじゃ。君がしようとしている人工知能という工学は、
 宇宙に知能を作らせようとする試みなのじゃ。」
「宇宙ではありません。人間が作るのです。」
「同じじゃよ。人間が自由にできるものなど、何もありはせん。」
「はい。」

私はわかったような、わからなかったような返事をした。

「いいか。三宅くん。君がいくらプログラムを書こうが、
 電気回路をつなごうが、それは、この宇宙が我々人間を作り出し
 奥深い過程を、稚拙ながら模擬しているに過ぎぬ。ちょうど、
 人間がこの宇宙を人間なりのやり方で、知って来たようにな。」
「はい。」
「結局のところ...」

老教授は少しにやけながら続けた。

「われわれ人間は、本当の真理にも、本当の生命を作り出すことにも、
 たどりつけやせん。我々は宇宙と生命のはざまの存在で、
 宇宙を眺めては、宇宙を知りたいと願い、
 人間と接しては、人間を作り出したいと願い、
 人間という足場から僅かばかり天に手を伸ばしたり、
 人間という足場を僅かばかり掘り進めてみたり、
 それでも人間という存在からは離れられず、
 しがみついている存在に過ぎん。」
「はい。先生。」

僕は涙を流していた。何も彼の言葉に感動したわけではない。

「お別れです、先生。」
「ああ。知っとるよ。今日で君は卒業だ。おめでとう。
 これがわしから君の卒業へのプレゼントじゃ。
 世間は君が思っているほど甘くないぞ。
 ただ、君を良く理解してくれる友達を集めるといい。
 そんなに多くはないだろうが、世の中には自分を理解してくれる
 僅かばかりの友人が見つかるようにできているのだ。
 それは君のような気難しい人間でも同じことじゃ。
 あきらめなければ、君は楽しくやって行けるよ。」
「ありがとうございます。」

私は深々と礼をして教室を出た。校舎の外は寒く、時計台がぼんやりとオレンジ色に輝いていた。
そして見上げる冬の空には、はっきりとオリオン座が輝いていた。

しばらくして、先生が亡くなったという連絡を受けた。

私は天に向かって泣いた。私はその時、世間で最初に自分を理解してくれていたのは、
他ならぬ先生その人であったことを悟ったのだ。

(三宅陽一郎 「京都大学の思い出」 )

posted by miyayou at 19:30 | TrackBack(0) | 日記

2012年08月11日

論説 「ゲーム産業のこれから」


日本という国は、海外から文化や技術を取り入れるのが得意な国でした。だから明治維新後、もの凄いスピードで300年分の知識と技術を取り入れました。何しろ300年分を30年で吸収するなんて凄いと思いました。でも、残念ながら技術や知識を自分たちで積み上げることをあまり学びませんでした。


知識を自分たちで作り上げるのと、人が作った知識を取り入れるのでは、スピードが全然違います。1000対1 どころではありません。だから、知識を輸入することばかりに慣れてしまうと、だんだんと、自分たちでわざわざ知識を作り出すことが馬鹿らしく思えて来ます。そこで、知識を作り出す土壌を作り出せなかった文化は、根の弱い文化にしかならないのです。


今、ゲーム産業で大切なのも、そういうことです。我々はたくさんの知識を輸入しようとします。もちろん、それはとても大切なことです。しかし、我々自身が、自ら作り出す知識がなければ、そこにオリジナリティーも価値も生まれません。オリジナリティーの価値がなければ、それを受取る側の人には価値がないのです。輸入したものを輸出したのでは、日本という国のゲームの価値がだんだんと海外から見えなくなってしまいます。


勉強会もたくさんあります。技術の本もたくさんあります。それは素晴らしいことです。特に、この業界では、人より早く新しい情報を得ることに価値があります。 でも、人から得た情報は自分自身で生み出したものではありません。遠い場所から流れて来た情報に一喜一憂することは感度の高い人間として素晴らしい資質であるにせよ、クリエーターはその先に、たとえ得ることの1000倍の時間を使っても、自分自身でしか生み出せないものを生み出さないといけないのです。そして、それをコミュニティの中で共有して、積み上げて行くことで、強い存在感を持ったコンテンツを生み出して行くことができるのです。


得た情報を積み上げて行くことは本当に大切なことです。そして、その上で、最も大切なのは、我々自身が、我々自身の手で、我々自身が生み出したものを積み上げて行くことです。それこそが、日本のゲームの強い発信力となります。
posted by miyayou at 21:14 | TrackBack(0) | 日記